人類のブログ

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大学に進学する必要があるのか

 高校生にどうして大学に進学するのか問えば、十中八九「就職するため」という答えが返ってくるだろう。たしかに現代日本の標準的人生ではそれが一番であると私も思う。

 では、企業は大学教育に価値を見出しているのであろうか?いや、価値を見出してなどいない。企業のエントリーシート会社説明会を通じて分かることは、少なくとも文系大学生に専門性を求めておらず大学での学問に価値を見出していないということだ。(例外はシンクタンク)実際、学問について記載するスペースは学チカ(学生時代に力を入れたこと)の半分以下のスペースしか用意されていない。そんな狭い範囲に書けるほど学問は薄っぺらいものではない。ということは本当に軽視しているのだ。

では、何故企業は大卒を採用するのか?

 それは大学入試を乗り越えたことが忍耐力の証明になり、能力の推測に役立つからだ。決して大学教育が能力向上に役立つから採用しているのではない。これは経済学ではシグナリング理論と呼ばれている。

 企業は大学教育が個人の能力を伸ばすとは考えていない。また大学側も大学教育が能力向上に役立つとは考えていない。実際に大学は就職予備校ではないという趣旨の発言を多くの学者から耳にする。また、経済学が商売に役立つ訳でないことを経済学者が度々発言している。

 果たして個人の能力を伸ばさないと企業が認識しているであろう大学教育を受ける必要があるのだろうか?ない。高卒人材間で能力比較ができる仕組みが開発され、企業側が高卒を積極採用するようになれば大学教育という浪費は減っていくことだろう。

では、企業が高卒を雇用するメリットは存在するのか?という疑問がわいてくる。企業側からすれば大卒、高卒ともに雇用する費用はそれほど変わらないので大卒を雇うデメリットは無いように思える。まぁ、これは解決できる疑問だ。博士課程修了者よりも若いという理由で学部卒を採用したがる傾向が企業にはある。ということは大卒よりも4歳若い高卒なら尚更、欲しいはずである。彼らにもメリットはある。

 

私が今回の記事で言いたかったことは大学教育は浪費であるということだ。若者が借金をしてまで通う必要などないだろうということだ。生きていくうえで通いたいと思えば、その時行けばいい。仮に高卒後に何らかの教育が必要なら、それは職業訓練だと考える。現状では大学に行かなければ良い職には就けないので大学に行きたいと思う気持ちは分かるが無駄だと思う。

 

この記事は文系大学教育に関する見解である。理系に関しては分からない点が多々あるので言及しない。